2018年5月30日、Canon、フィルムカメラ販売終了のニュースが、写真界に駆け巡った。
なんてことだ。あまりにショックが大きい。

人物写真家なので、Canonを使っている。
しかも初めて持った一眼もCanon。人生で一貫してCanonを使っていると言ってもいい。
Canonの成長と共に私も成長し成熟してきた。

マニュアルフォーカス・マニュアル露出に始まり、オート露出、オートシャッタースピード、ズームレンズ、オートフォーカス。そしてデジタル。
カメラマウントも、FD、NewFD、EOSマウントと、3世代経験している。
この発展の歴史の長さと、愛着の長さ、そしてその喪失に呆然としている。

美術の先生と近所の写真屋さんに育てられた日々。
中学3年から、休みの日の度に、朝から晩まで暗室で過ごした日々。
アマかプロかわからない時も、暗室にこもりっきり。ここで暗室の絶対的自信がついた。
失ったから言えるが、暗室作業こそ、写真の醍醐味みたいなものは間違いなくあった。

フィルムカメラは、ミスの許されない職人芸と、芸術性を兼ね備えねばならない。
経験に裏打ちされた絶対的な勘と、自分と先輩方のミスの蓄積による、撮影前のチェックの数々。
それが、もう役に立たない過去の産物であると、あらためて告げられた感覚を持つ。
デジタルに移行したとき、過去の産物になっていたはずなのに。

暗室作業まで含めたフィルム撮影が、自分を活かす最善の道というのはわかっている。
しかし社会に生きている以上、需要を無視しては生きて行けない。

Canonの一眼フィルムカメラを今更買おうとは思っていなかった。
しかし、販売されているから大丈夫という、安心感が重要だった。

レコードからCDに代わり、そして圧縮音源の時代へ。
その変化で、引退した有能な「録音家」がいた。

8ミリフィルムから色々経て、8ミリビデオ、DV、現在のメモリーへ。
私のいとこが、8ミリフィルムで数々の賞を取ってきたが、ビデオの移行で映像界から退いた。

映画館も、映写技師が映し出すフィルムから、ハードディスクのデータをプロジェクターで映し出す方法へ移行。
多くの映写技師が職を逸した。

何もかも理解しているのだが、この喪失感がたまらない。
いや、喪失の蓄積がたまらないのかもしれない。

自分のなかで折り合いをつけるのは、大変な作業のようだ。
「ありがとう、Canon」と、美しいことをのたまえるのは、当分先のようだ。

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家族写真・プロフィール写真スタジオ
かなでるフォト 代表 いしばし
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