現在ヴァイオリンコンチェルトの演奏会のデジタル現像中。
コンチェルト。これは本当に大変なのだ。壁を超えれば何か見えるかもしれないが、未だ壁を超えられず。
指揮者にとって最も大変なものの一つと言っていいと思う。
私は指揮者として何回もコンチェルトをやっているが、全く超えられない。考えただけで手に汗を握る。
他の方々はわからないが、私個人としては、コンチェルトはソリストの演奏したいように自由にやって欲しい。
つまりは、ソリストとの呼吸の読み合い。実際には心を一方的に読む方が多いかも。
国内のソリストでもそんなに一緒に合わせられるものではない。
英国人だと、ゲネプロ(=ざっくり言えばリハーサル)で合わせ、本番。いわゆる「ゲネ本」だ。
つまり一回あわせて本番なのだ。
準備として。
まず、楽団の演奏が仕上がっていないといけない。従って徹底した合奏が不可欠。次に本番ソリストを想定しての「代奏」を立てての合奏。
これで完璧に仕上がっていないといけない。
大変なのが、ソリストの研究。大きいアゴーギグを多用するのか、シンプルに演奏するのか。ダイナミックなのかこじんまりなのか、その他考えられるものを研究。性格まで。
当然スコアは暗譜せねば対応できない。多くの選択肢を用意して演奏会にのぞむ。
さてゲネプロで初顔合わせ。握手握手。お互いの紹介と楽団の紹介。ここからは英語オンリー。
イギリス英語とアメリカ英語で音楽用語が違うから混乱せぬよう。
合奏前にあらかじめ細かい指示をもらい、それらを楽団に伝える。
さあ本番。
演奏の開始前から呼吸を読む。ソリストが演奏を始めると本当に呼吸を読む。
ソリストの音があまり楽団に聞こえない場合は、指揮棒だけが頼り。想定外の加速が始まると、楽団がついてこれない。指揮棒が打点の大振りであおる。
それら諸々を超えると、特殊な状態になる。
ソリストと楽団と指揮者の三位一体の状態。三位一体で音楽をかなでる状態になる。さらに超えると、聴衆のエネルギーも加わって、四位一体の状態。
もはや誰が主体でも客体でもない境地。ホールにいる全員が一体となり、全員で音楽をかなでる。
持論ですが、
「指揮者と演奏者、フォトグラファーとお客さんと同じ関係。誰が主体でも客体でもない。
フォトグラファーが呼吸を読みリードはするが、フォトグラファーとお客さんとが渾然一体となって写真を作る」
つまり、フォトグラファーとお客さんとで、写真を「かなでる」のです。
人と時間を共にして作る芸術は、皆このような状態だと信じている。写真も音楽も境界はない。
あくまで私個人のイデオロギーなので、みんながそうとは限らない。
しかし演奏会写真で、コンチェルトの場合、指揮者がソリストを見てる写真、逆にソリストが指揮者を見てる写真、両方が見つめあってる写真。
これらを異様に多く撮影していまうのは、指揮者・ソリストの呼吸を知っているからだ。
また今回もそれらを、異様に多く撮ってしまった。奏者の皆さん、指揮者を理解してあげてください。
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家族写真・プロフィール写真スタジオ
かなでるフォト 代表 いしばし
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